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彼の芭蕉に、
春という季節こそ近江の人々と共に過ごしたい、と言わしめた近江の人や風土とは、いったいどの様なものだろう? 筆者である僕は、ハレルヤの造られる水や風、豊かな米所と人をこの目で見に行き自分で確かめたくなった。同行は、この度の取材を依頼してくれた小林酒店の店主で、ご自身の惚れ込んだものに厚い情熱を注ぐ小林則之氏だ。「で、ハレルヤをそうまで良いものに昇華出来たのは、やっぱり酒米や麹が特別なんですか?」僕はいつかの如くそう聞いた。
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「いや、それだけじゃない。
そこに今ままでの酒を守りながらも、新しい挑戦をする人の良さがある。」と京都から滋賀県の堅田へ向かう湖西線の車窓を眺めながら、小林店長は笑って言った。
ほう、昔読んだ紀行文と同じような事を仰る。僕はそう思った。これは非常に興味をそそられる。
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波乃音酒造さんを訪問する。
快く迎えて下さったのは「
杜氏
三兄弟」を名乗っておられるご兄弟の
長兄
で、社長の中井孝氏だ。氏は和やかな空気をまとい、同行の小林店長と僕を連れて酒蔵の中を案内してくれた。
酒蔵は隅々まで、そこに従事する皆さんの優しくもエネルギーに満ちた気で大変明るく感じる。 酒米を作った酒屋さん達と、波乃音酒造さんとでハレルヤの仕込みに入る時、泊まりがけで指南を乞い、作業に参加した小林店長も「あれは本当に楽しい時間だった」と話していた。言葉にするなら、酒造りを心得た杜氏に力をかしてくれる酒蔵の精霊とでも言おうか。
忙しいなか、中井氏が「良かったら酒米の田圃見にいかれますか?」と言って下さった。趣味でもカメラを担いで方々へ行く僕だが、未だ好ましい棚田に行けてなかったので大変嬉しい。時節は梅雨前、丁度田植えが終わった頃である。叡山から吹く心地よい風が新しい田の水と土のにおいを鼻先に運んでいる。
山を仰ぎ、振り返れば遠くに琵琶湖が広がっている。季節を通してここは、清水と豊穣の楽土なのだ。帰りの車で氏が話してくれた、「うちは琵琶湖に古くから居る湖族の末裔なんですよ」と。
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即ち上代から源氏の流れをくむ人々
が琵琶湖に移り住み漁業・水運と農業を以て律令制に対する年貢米を作っていた。その人々の中に、酒造りを任された一団がある、その一つが氏のご先祖と言うことである。 それから気の遠くなるほど長い時間が過ぎ、現在の「波乃音」と言う屋号を冠されたのが、確か1805年だと、氏が仰っておられたと記憶している。「つい最近なんですよね。」と仰る氏に、小林店長と僕は唸ってしまった。果たしてこの国で自分の先祖を平安時代まで遡れる人がどれくらい居るだろう?それは名門たるゆえんであり、自然と時の
理
に沿う生き方を受け継いできた証なのかもしれない。蛇足であるが、1805年と言えば文化二年である。二百年ほど前、石山寺縁起絵巻が描かれ、天草崩れが起き、関東取締出役が置かれた頃である。氏のタイムスケールからすれば確かに最近の事かもしれない。
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なるほど、司馬遼太郎が「街道を行く〜近江散歩・奈良散歩」で言ってた事は本当のようだ。 氏は正に”こまやかで物やわらかく、春の気が凝って人に
化
ったようでさえある。”と言う一文のままの人である。また司馬遼は穏やかでありながら、私曲
を嫌い、飾る事を良しとせず、直情なまでに正しきを貫こうとする近江武士特有の気質についてもふれている。そこが彼の芭蕉をして、共に在りたい人々、といわしめたのであろうと思う。
近江の人の優しさと気高さが、まろやかで香り高く、それでいてスッキリとした淡麗さの両面を兼ね備えたハレルヤと言う酒の在り方に結晶されていると思われる。
中井氏のような人々の気質の良さが一つも欠けることなく近江の酒にも注ぎ込まれてるのだろう。このような出会いを下さった小林酒店の小林店長にも、心から感謝を申し上げたい。ここで擱筆させて頂くとする。
文 小林酒店Webデザイン担当 森
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